死といふもの

投稿日: カテゴリー: おもうこと, ジルジャーニー

知ってる方も、知らない方も、こんにちは、こんばんわ、高山奈帆子と申します。

今は京都在住。一応ミュージシャン、歌い手のつもりで生きています。

この度サイトをリニューアル&ブログも新しく始めることにしました。

リニューアルしたブログの第一回目がこのタイトルなのはいかがなものか、

と思ったりもするのですが、

「死といふもの」について考えたことがキッカケだったもので・・・

 

 

先月(2016年6月初旬)、思ってもいない報らせが私の元にやってきました。

長らく大切な音楽仲間だった友人が亡くなった、と。

まだ30代、本当に、まだ信じられない。

 

彼はかつてジルジャーニーというバンドのメンバーとして、人生の貴重な時間と情熱を共有した仲間でした。

ここ数年は、CM音楽の世界でその作曲・編曲の才能を開花させていて、ヤマザキ・JAL・カネボウ化粧品など、

名だたる大企業のものを多く手がけておりました。

どれも彼の良さの生きた作品で、活躍ぶりをみては、いいぞー!と誇らしく思っていました。

長い間会うことは無くても、そういう想いでいたことはわかってくれてたんじゃないかと思っています。

そしていつか、私も、もう一人のバンドメンバー・さくらちゃんも、

もう一度一緒に音楽する日が来るのだろう、と、当然のように思っていたのです。心の何処かで。

 

とても素直で、謙虚で、繊細。でもユーモラスで。

旅と音楽、家族を愛する芸術家の彼には、もう会えないのです。

 

ある映画で、

「死というものはいつもすぐ近くにあり、親しいものが亡くなった時にだけ、死との間にある薄い膜が取り払われ、

それががはっきりと見えるようになる。

しばらくすると少しずつまた膜が張り、残されたものはこれからもその人の気配を膜の向こうに感じながら、生きていくんだ」

というようなセリフがありました。

彼の死を知った時、心に穴が開くのと同時に、

自分が座っているリビングのソファのすぐ横に、「死」の黒くて深い、底の見えない深淵がぽっかりと現れたような、そんな気持ちになりました。

いつもそこにあるものなのだと。

その黒い淵のすぐ横で、私たちはご飯を食べ、コタツに入り、おしゃべりし、布団にくるまって眠り、

つまらないことに腹を立てたり、大笑いしたりしているんだな、と…

当たり前の大前提だけど、本当の意味で理解できる瞬間は少ない。

 

亡くなる間際まで命を削って音楽を作り続けていたという彼。

きっとその黒い深淵を感じながら、この世に一つでも自分の作品を残そうとしていたんだろう。

まだまだ沢山、やりたいことも作りたい音楽もあっただろう。

私にできることは無いに等しいけれど、彼と関わった過去とその作品を改めて大切にしたいなと思ったのです。

そのためには、自分の過去もちゃんと、大事にしなければ。

ただ流れていってしまうFacebookの記事にこの想いを書くことには抵抗があり、

かといって今までの途切れ途切れのブログに書くのも違うように思い、

自身のサイト自体を一新することにしました。

今自分の音楽活動としてやってるのは『カルネイロ』ですが、

遡って自分の関わった作品全てについて知ってもらえるように、サイト名の表記は個人名に変えました。

ここ数年(いや、生まれてからずっとなのかも)整理できてない頭の中も過去も、

もう一度ちゃんと捉え直したい。

これからを生きていくために、必要なことなのかもしれないとも思うのです。

 

何か今日という日の、今という時間の、切れ端でもいいから掴みたい。

昔から心の奥底で思っているはずだけど、簡単じゃない。

すぐにぼんやりしてくる。

ぼんやりしてくるというよりは、私の場合デフォルトがぼやけているから大変…

ネットで履歴とブログが見られます、だけでは世に何か残したことにはなりませんが、

サイトも少しずつ充実させていく予定です。

ここにも時々は動きの鈍い頭を使って

想いと文章を残していこうと思います。

 

 

R.I.P. Masaru Sugimoto

 

なおこ